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ポケうまコラム
1989年 ジャパンカップ
2022-11-28

毎週月曜日はレジェンドレース回顧録!
伝説的なレースを紹介するこのコンテンツ。
【1989年 ジャパンカップ】を紹介します。

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外国と日本の馬の頂点を決めるべく、設立されたジャパンカップ。

1981年に創設され、40年以上の歴史を誇るジャパンカップでは幾多の名勝負が繰り広げられた。

記憶に新しいのはアーモンドアイのワールドレコードやコントレイルのラストランだと思うが、ここではかつて海外の有力馬が多数連なった時期のジャパンカップ、そう、アーモンドアイ以前のレコードタイムが飛び出た1989年のジャパンカップを掘り下げることにする。

この当時のジャパンカップはいまよりも多くの海外有力馬が参戦した。

この年は7頭の外国馬が参戦し、日本からもオグリキャップやスーパークリーク、イナリワンといったいわゆる平成3強が迎え撃つ。

このレースの注目株は当時アイドルホースとして絶頂の人気を誇っていたオグリキャップだ。

前走マイルチャンピオンシップからの連闘という、いまでは考えられないローテで挑んだものの、1番人気に支持された。

そして、外国馬で人気を集めたのがアメリカのホークスター、そしてイギリスのイブンヘイなどである。

それに対し、唯一南半球のニュージーランドから参戦したにもかかわらず、ほかの馬よりも評価が低かったのがホーリックスだった。

当時の外国馬は欧米馬が圧倒的に強く、その反面南半球生まれの馬はそれだけで実力で劣るといわれていた。

その光景は現在でいう中央と地方の格差に似ているだろう。

しかし、ゲートが開いて3分後に下馬評か覆された。

先行競馬で脚を溜めたホーリックスが最後の直線、抜群の手ごたえで抜け出したのだ。

そして、外目からホーリックスを捉えにかかるのは連闘のオグリキャップ!

オグリキャップも地方笠松からデビューし、地方馬の強さを世に証明した名馬で、ある意味ホーリックスの背負うものと似ていた。
生まれ育った環境、世間の評価を乗り越え、世界中の名馬が集う舞台でマッチレースを繰り広げる。

2頭の芦毛のデッドヒートをわずかに制したのは……。


ホーリックスだった。


オグリキャップは外目から末脚を伸ばしたものの、わずかクビ差で2着に敗れてしまった。

そして、ホーリックスは過小評価されていた南半球産駒の強さを世界中に証明したのだ。


このとき、ホーリックスとオグリキャップが叩き出したタイム2分22秒2の時計は当時の世界レコードで、東京競馬場が改修される2002年まで更新されなかったのだ。

不遇の環境から成り立った2頭の芦毛。

結果的に3着以下を3馬身以上突き放しての完勝劇はいまもなお語り継がれているのだ。

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