毎週月曜日はレジェンドレース回顧録!
伝説的なレースを紹介するこのコンテンツ。
【2001年 武蔵野ステークス】を紹介します。
過去の武蔵野ステークスのベストバウトといったらクロフネが制した2001年ではないだろうか。
G3レースながらも希代の名レースと呼ぶ人は多く、20年以上経った今日も語り継がれている。
どうして、2001年の武蔵野ステークスがこれほどまでに支持されているかを解説しよう。
この年の武蔵野ステークスの主役は当時3歳のクロフネだった。
クロフネはアメリカ生まれの競走馬なのだが、この年から外国馬のクラシックが解禁されたことで、かつてのペリー来航をなぞらえこの名がつけられる。
それまで外国馬は皐月賞やダービーといったクラシックレースに出走できなかったのだ。
アメリカからはるばるやってきたクロフネはデビュー時から活躍し、3歳の春には毎日杯やNHJKマイルカップも制する。
満を持して挑んだダービーこそ5着に敗れたが、それでも上々たる成績で秋に備えたのだ。
秋は神戸新聞杯から始動。
ここを快勝したクロフネ陣営は秋の最大目標を天皇賞(秋)にする。
しかし、天皇賞(秋)は外国馬の枠が2枠しかなく、そこに外国馬のメイショウドトウとアグネスデジタルが入ったため、賞金で2頭に負けていたクロフネは競走除外となったのだ。
しかも、アグネスデジタル陣営はクロフネ陣営が前々から天皇賞(秋)への参戦発表している中、直前になって出走表明したため間接的にクロフネをつぶしたことになり、アグネスデジタル陣営は非難まみれだった。
さて、形式はどうあれ、天皇賞(秋)への夢が潰えたクロフネがダートの武蔵野ステークスに出走した理由はふたつある。
天皇賞(秋)に向けて仕上がっていたこととアメリカ型の血統背景から、来年のフェブラリーステークスを見据えていたことだ。
そこで、当時天皇賞(秋)の前日に行われる武蔵野ステークスに試しに使ってみようとしたのだ。
それが、歴史の幕開けとなる。
初ダートにもかかわらず1番人気に支持されたクロフネは抜群のスタートで先行する。
ハイペースの流れになったが一切ペースを落とすことなく4コーナーあたりで進出するクロフネ。
ハイペースの流れなので失速してもおかしくなかったのだが…。
クロフネの脚は止まらない!
そのまま後続を突き放して、2着のイーグルフェザーに9馬身差つけて圧勝したのだ!
1分33秒3のJRAレコードをたたき出したクロフネは初ダートとは思えない走りでダート馬としての素質を開花させたのである。
この1戦で陣営はジャパンカップダート(現在のチャンピオンズカップの前身)に出走することになったがここでも2着馬を7馬身差つけて完勝してしまったのだ。
気が付けばクラシックではなくダート界の黒船となり、翌年以降の活躍にも期待されたが屈腱炎のために引退することになった。
引退後は種牡馬入りし、現在も活躍しているソダシをはじめ、アエロリットやカレンチャンといったG1馬を輩出した。
そして、2021年に老衰のため死去。
競馬界の黒船となったクロフネの血は現在もターフを駆け抜けている。
余談だが、天皇賞(秋)の外国馬枠に割って入ったアグネスデジタルは非難轟々だったがレースを勝ち切り秋の盾を手にした。
クロフネ伝説の背景にはアグネスデジタルの存在も確かにあるのだ。