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ポケうまコラム
2009年 ブリーダーズカップ
2022-11-14

毎週月曜日はレジェンドレース回顧録!
伝説的なレースを紹介するこのコンテンツ。
【2009年 ブリーダーズカップ】を紹介します。

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いつの時代にも名馬は世界中のどこかで現れる。

2004年アメリカにも1頭の牝馬が愛された。

その馬の名はゼニヤッタ―――。

わずか600万円ほどで売られたゼニヤッタはなんといっても馬体が大きかった。

3歳の時点で馬体中はなんと550キロ近くあっただけではなく、デビューまでに軽度の故障を繰り返していたことから、デビュー戦は3歳の11月。

世代限定競走はとっくの昔に終了していたのだ。


しかも、ゼニヤッタは出遅れ癖があった。

そのため必然的に後方競馬を余儀なくされたのだが、その後方競馬で数多くのレースを制することになったのだ。

初めて挑んだアップルブロッサムHでは前年の最優秀牝馬を獲得したジンジャーパンチ(ルージュバックのお母さん)相手に勝ち切ったのだ。

そして、その年のブリーダーズカップレディスクラシックも勝利し、史上2頭目となる無敗のブリーダーズカップレディスクラシック勝ち馬となるのである。

翌年も無敗でレースに挑み、その年は再びブリーダーズカップレディスクラシックに向かうかと思われたが、陣営はあえてさらに上のステージであるブリーダーズカップクラシックへ挑む。

有力牡馬が多数そろう中、いつもの出遅れからの追い込み競馬で牡馬をあっさり交わして優勝したのだ。

これまで無敗での勝利となったうえ、ブリーダーズカップレディスクラシックとブリーダーズカップクラシックという、2種類制覇という偉業を成し遂げたのだ。

翌年以降もゼニヤッタはレースを行い、最終的には20戦19勝という戦績で引退することになった。

ゼニヤッタの活躍は競馬を知らないアメリカ人にも響き渡り、「その年を代表する女性アスリート」にも選出されるほどだったのである。

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