毎週月曜日はレジェンドレース回顧録!
伝説的なレースを紹介するこのコンテンツ。
【2006年 アジュディミツオー・カネヒキリの帝王賞】を紹介します。
どんな時代にも競馬界の中心に立って競馬を盛り上げる馬は存在する。
例えばディープインパクトやオルフェーヴル、アーモンドアイはまさに時代の先頭に立って競馬界を引っ張ってきた。
しかし、これらの名馬が活躍する背景で、敗北を経験した馬もたくさんいる。
そして、名馬相手に真っ向から勝負を仕掛ける馬もたくさんいるのだ。
今回紹介したいのはいまから16年前の2006年の帝王賞のお話だ。
この年、ダートの中心にいたのはカネヒキリだ。カネヒキリは前年のJRA最終ダートホースに選出されていて、ここでも1番人気に支持されていた。
そんなカネヒキリに勝負を仕掛けたのがアジュディミツオーである。
アジュディミツオーは地方所属馬としてすでにG1タイトルを4つ手にしていた。
しかし、カネヒキリとはこれまで3度戦っていずれも敗れている。
ただ、G1タイトルを手にするだけではなく、カネヒキリに先着した上で勝利をつかみたい…。アジュディミツオー陣営と主戦の内田博幸騎手は常にそう考えていた。
カネヒキリとアジュディミツオーの対決が開かれる。
スタートを幸先よく切ったアジュディミツオーは自分の競馬――逃げに集中する。そして、人気のカネヒキリはアジュディミツオーを見る形で番手で競馬を行った。
レースは坦々とすすみ、はやくも最終コーナーに入る。
ここでカネヒキリ騎乗の武豊騎手、そしてアジュディミツオー騎乗の内田博幸騎手がムチを飛ばす。ムチに応えるカネヒキリとアジュディミツオー。
カネヒキリの追走はさすがだった。ムチを入れるたびにグングンと加速しアジュディミツオーを差し切ろうとするのだ。
しかし……。
アジュディミツオーの粘りはそれ以上だった。
なんとしても最強ダートホースであるカネヒキリに勝ちたい…。
その思いがアジュディミツオーにも内田博幸騎手にもあった。
粘りに粘ってカネヒキリの追撃を退けようとしたその時、アジュディミツオーの末脚がさらに爆発したのだ。
のちに「二段ロケット」と呼ばれたその末脚は一杯になったアジュディミツオーがさらに引き出した加速だった。
捕らえられた直前で二段ロケットを発揮し、カネヒキリを再び突き放したアジュディミツオーは見事1着でゴールし、カネヒキリに先着したのだった。
5つ目のG1タイトルは良い意味で非常に重いものとなった。
結果的にはアジュディミツオーの現役最後の勝利はこの帝王賞となり、その後は勝ち星を手にすることはなかった。
しかし、逃げるアジュディミツオーと迫るカネヒキリの勝負は多くの人に競馬の魅力を焼き付けた。
その証拠に2011年に「特別区競馬組合」が実施しベストレースの第1位に選ばれている。