毎週月曜日はレジェンドレース回顧録!
伝説的なレースを紹介するこのコンテンツ。
【1995年 ライスシャワーの宝塚記念】を紹介します。
淀に咲き、淀に散る。
漆黒のステイヤー、ライスシャワーの通り名だ。
90年代初頭に活躍した馬だが、大人気アプリゲームのウマ娘にも擬人化されてるので知っている人は多いだろう。
漆黒の馬体で多くの有力馬に勝ったライスシャワー。
しかし、タイミングと相手が悪かった。
最後の一冠を賭けた菊花賞ではミホノブルボンの三冠を阻止し、古馬になって挑んだ天皇賞(春)ではメジロマックイーンの天皇賞3連覇を阻んだ。
そのことから、ライスシャワーはヒーローというよりもヒールとして定着してしまったのだ。
そんなライスシャワーはメジロマックイーンに先着した天皇賞(春)以来、2年も勝ち星を上げられなかった。
そのため、ほかの馬の記録を打ち破るためだけに存在したと捉えられていたのだ。
しかし、その汚名はライス自身が拭う。
2年後に挑んだ天皇賞(春)では主役不在の中、ロングスパートを仕掛けて勝利をつかんだのだ。
このときは主役不在ということもあり、多くの人がライスシャワーの勝利を祝福される。
手にした3つのG1タイトルはいずれも京都競馬でつかんだもの。
そして、3度目にして、はじめてライスシャワーは大歓声の中を歩いたのだ。
しかし、さすがに3,200mの天皇賞(春)の疲れはあとにも引いた。
そのためしばらくは放牧に出る予定だったが、この年の宝塚記念でファン投票1番に支持される。
ライス陣営は悩んだのだが、この年は1月に起きた阪神淡路大震災のため、例年阪神競馬場で開催されるところ、京都で代替開催されることになった。
ライスシャワーの得意な舞台…。
ようやくつかんだファンの声。
陣営は、天皇賞(春)の疲労が抜けきらないライスシャワーを宝塚記念に出走させることにした。
しかし、悲劇は訪れる。
疲れの残るライスは本番で先行するも、いつもの走りができていない。
それを感じた的場騎手は、勝ちにこだわらずに無事にゴールすることを考えた。
しかし、2週目の3コーナー付近でライスの限界は訪れた。
大きく転倒してしまったのだ。
この時点でライスシャワーは脱臼と骨折してしまい、転倒したあとも思うように動けなかった。
そして、快復が見込めないと判断されたライスシャワーは観客が見えないように垂れ幕が張られ、その中で安楽死の措置が執られたのだ。
G1タイトルを3つ手にしながらもヒール扱いされたライスシャワー。
しかし、紛れもなく競馬界を駆け抜けた一頭の名馬である。
ライスシャワーの死後、多くの人は胸を締め付けられる思いで一杯になった。
淀に咲き、淀に散ったライスシャワーの石碑はその後、京都競馬場に設けられたのである。