毎週月曜日はレジェンドレース回顧録!
伝説的なレースを紹介するこのコンテンツ。
【2007年 ウオッカの日本ダービー】を紹介します。
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日本ダービーはすべての競走馬が目指す憧れの舞台でもあると同時に、競走馬に携わるすべての競馬関係者も夢見る舞台だ。
しかし、よほどのことがない限り日本ダービーに出走するのは牡馬である。牝馬は前週に開催されるオークスを選択するからだ。
しかしながら、絶対数は少ないものの、オークスではなくあえてダービーを選ぶ牝馬も少なからず存在する。昭和の時代でいうならクリフジ、令和の時代でいうならサトノレイナスだろう。
そのなかでも、64年ぶりに牝馬としてダービーを制した馬がいる。
ウオッカだ。
ウオッカは元々牝馬として阪神JFを制している。3歳になってからも牝馬クラシックを挑んでいたが、桜花賞では宿敵ともいえるダイワスカーレットの2着に敗れた。
桜花賞での敗退から、ウオッカだけではなくウオッカに関わる関係者も入念にウオッカの調教を行う。
そして、管理していた角居調教師はオーナーの谷水氏にダービーの出走登録をしたいと申し出、谷水氏も承諾した。
しかし、世論は冷たかった。
牝馬同士で勝ち切れないのにダービーに出ても勝てるわけがない―――酷評の荒しだった。
しかし、その逆境をはねのけたのはほかならぬウオッカだった。
ダービーでは断然一番人気のフサイチホウオー、のちの菊花賞馬であるアサクサキングスらを後方から豪脚で捕らえ、64年ぶり、クリフジ以来となる牝馬のダービー馬となったのだ。
ウオッカはこのダービーで歴史に残る名馬になったのだ。
その後、ウオッカは長いスランプに陥るが、最終的にはライバルのダイワスカーレットとの勝負付けも済み、最終的にはG1タイトルを7つ手にしたターフを去った。