田原成貴元騎手をご存じでしょうか。
元花形騎手とも呼ばれ、数多くのビッグレースを手にした一方で、過激発言や2度の逮捕など、過剰な一面も持ち合わせていました。
最近競馬に触れられた人にとっては時の人となってる田原元騎手について紹介します。
1978年に騎手デビューした田原騎手はデビュー5年目にダイゼンンキングで阪神3歳ステークス(現在の阪神JF)を制すると、その後も数々のレースを勝利しています。
有名なのが
・1983年のトウカイテイオーの有馬記念
・1995年のワンダーパフュームの桜花賞
・フラワーパークの短距離G1
・伝説のマッチレースとなった1998年のマヤノトップガンの阪神大賞典
長く騎手活動していて、重賞にも頻繁に騎乗していたことから、つねに結果を残す騎手だったのです。
1998年.ちょうどデビューから20年目の年に騎手を引退することとなりました。
騎手引退後は調教師として活動されます。
管理馬でいち早くデビューしたのはフサイチの相性で知られる関口オーナーのフサイチゴールドで、初出走初勝利をつかみました。
また、その年の弥生賞をフサイチゼノンが勝利し、開業当初から注目を集めます。
ところが、フサイチゼノンがレース直後に脚部不安を抱えたことから独断で皐月賞を回避すると、オーナーの関口氏が激怒し、関口オーナーが所有する多くの馬が別の厩舎に異動することとなったのです。
その後も調教師として活躍されていましたが、2001年の秋、羽田空港にてナイフの所持が発覚し、銃刀法違反で逮捕されます。
その際、所持品の中から覚せい剤を所有していることが発覚し、覚せい剤取締法違反で逮捕されることになりました。
これにより、田原氏の調教師免許がはく奪され、15年間の競馬への関与の禁止が言い渡されました。
なお、管理していた馬の多くは谷潔調教師のもとに転厩しています。
執行猶予判決から7年後、ふたたび覚せい剤の所持で逮捕されました。
京都の自宅に徴収が入り、大麻の所持が判明しました。
この時期は競馬界から追放されていましたが、競馬に関するコラムや文筆をされていました。
懲役2年の実刑が下され、服役もされました。
出所後は覚せい剤の話は聞きません。
現在は東スポにて競馬予想やコラムの連載を行っています。
また、Twitterのアカウントも開設されていて、週末の重賞回顧も行っています。
競馬界の第一線で活躍された田原元騎手は今後も競馬に関わる仕事を行われるでしょう。