毎週月曜日はレジェンドレース回顧録!
伝説的なレースを紹介するこのコンテンツ。
【2009年 エリザベス女王杯】を紹介します。
これが競馬の恐ろしさ___。
実況が口にしたその言葉は、2009年11月15日。京都競馬場に駆け付けたほ観客、関係のみならず、全国で中継を見ていた競馬ファンの耳に焼き付いただろう。
2009年11月15日。エリザベス女王杯。
この年の二冠馬であるブエナビスタの一強と思われたレースをワンツーで決めたのは二けた人気の馬だった。
ハナを切ったのはクイーンスプマンテ。2番手にはテイエムプリキュア。
以下、後続が続く。ところが、2コーナーからバックストレッチにおいて、2頭が後続を8馬身以上もつけ、その後もぐんぐんと後ろを置いてけぼりに引き離し続けている。
後続が3コーナーの上り坂にいるころ、前の2頭は下り坂を下っている。その差は20馬身以上にもなり、観客席からは悲鳴にも似た声が上がりつつあった。
直線に入ってもその差は歴然としていた。1番人気のブエナビスタが豪脚で襲い掛かるが、捕え切れず、不人気馬のワンツーとなったのだ。
なぜ2頭が逃げきれたのか。2頭の前半1000mの通過タイムは1.00秒5と、きわめて普通のペースである。クイーンスプマンテの勝ちタイム2.13秒6と、全く驚く要素のないタイムなのだ。
なぜこのような展開になったのか、推測だが、3番手以降の騎手たちが、前に行く2頭を軽視していたと思われる。
しかし、あまりにも軽視しすぎだろう。10馬身近く離された状況で、逃げ馬に1000mを1分フラットのペースで走られていたら、いくら脚を溜めても届くことはないことは騎手なら分かるはずだ。
現にブエナビスタの脚をもってしても届かなかったのだから、後続の騎手の判断が甘かったといわざるを得ない。
競馬は「馬の力7割、騎手の力3割」で勝敗が決まるといわれている。
G1という大舞台でこのような判断しかできなかった騎手に賭けた多くの人は、このレースを「史上最低のレース」と言ったそうだ。
しかしながら、クイーンスプマンテに騎乗した田中博康騎手はこれが初のG1タイトルでもありクイーンスプマンテにとっても初のG1タイトルだった。
ペースを見誤る騎手が多くいた中で、田中騎手の積極的な競馬があったことも忘れてはならないのだ。