毎週月曜日はレジェンドレース回顧録!
伝説的なレースを紹介するこのコンテンツ。
サクラバクシンオーのラストラン【1994年スプリンターズS】を紹介します。
まだ「スプリンター」と「マイラー」の境界があいまいだった90年代、サクラバクシンオーは「スプリンター」の定義を決定付けることになる。
当時は1200メートル路線が整備されておらず、GⅠは年の暮れに行われるスプリンターズステークスしか無かった。そのため春から秋にかけてはマイル以上のレースにも出走するしかなかったサクラバクシンオーであったが、スピードを活かして善戦するものの良い結果は残せていなかった。
得意なのは専ら1400メートル以下のレース。10戦以上して負けたのは体が出来上がっていなかった最初のスプリンターズステークスのみ。
古馬になった93年にリベンジを果たし、そして1994年12月18日、サクラバクシンオーは連覇を懸け、引退レースとしてスプリンターズステークスに臨んできた。
ファンは当然、この短距離王を1.6倍の圧倒的な1番人気に支持し、晴天のなかレースはスタートした。
サクラバクシンオーは好スタートを切ったものの、いつもよりポジションを下げ5番手で先頭集団を見る形でレースを進める。これには前半3F32.4秒ととてつもないハイペースになったのを読んだ、21戦全てで手綱を握った小島騎手の好判断があった。
4コーナーに差し掛かると、馬なりのまま3番手に上がり、馬なりのまま直線を迎え、馬なりのまま先頭に踊り出た。他馬を置き去りにしてから追い始めると、差は開いていくばかり。
アナウンサーが「これが最後の愛のムチ!」と表現した鞭に力を貰ったのか、最後は4馬身差をつけレコードで圧倒的な勝利を収めた。
引退レースで魅せた信じられないパフォーマンスに観客はどよめき、ターフを去る稀代の「スプリンター」に惜しみない拍手を送った。
このスピードスターの活躍もあり、高松宮杯が短距離GⅠになるなど短距離路線の整備が進んでいく。まさに時代を造り、王者として君臨し続けたサクラバクシンオー。
彼の名が永久に競馬界に燦然と輝くこととなった、類稀なる名レースだ。