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テイエムプリキュアが波乱を産んだ【2009年日経新春杯】を紹介します。
復活劇といえばオグリキャップ、トウカイテイオーなど様々な名馬の名前が思い浮かぶが、テイエムプリキュアほど波乱に満ちた馬生を歩んだ馬はなかなかいないだろう。
2003年に生まれ僅か250万円で取引されたテイエムプリキュアは、その低かった評価を覆すようにデビュー2連勝で阪神JFに臨むと、
ここでも8番人気という低評価を受けながら差しきり勝ちを収め一気に世代の頂点に立った。
翌年のクラシックでも本命級の活躍を見せるかと思いきや……チューリップ賞4着を皮切りに惨敗が続き、なんとそこから24連敗。気付けば6歳になっていた。
陣営は負けながらも走り続けた彼女を労い、連敗中唯一馬券内に入ったことのある相性の良い日経新春杯を引退レースとすることにした。
2009年1月18日京都競馬場のメインレース、日経新春杯。ハンデ49.0キロ、単勝34.4倍の11番人気。
ハンデキャッパーにも、競馬ファンにも、彼女はもう走れないと思われていた。
ただ、パドックには多くの横断幕が掲げられるなど、諦めずに走り続けた姿に胸を打たれたファンが多かったことが分かる。
スタートが切られると、出ムチを打たれたテイエムプリュキュアが気合を入れて先頭に立つ。すると、最軽量を活かして向こう上面では数馬身離す勢いの良い逃げを見せた。
人気薄の大逃げ。よくある展開だ。大抵は4コーナーあたりで差を詰められ、以降アナウンサーに触れられることもなくレースが終わる。
みな、今回もそのパターンだと思っていた。みな、自分の本命馬を見つめていた。みな、テイエムプリキュアがGⅠ馬だということを忘れていた。
誰もが油断していた。3コーナー、4コーナーと来ても差は縮まらない。むしろ開いていく。鞍上の荻野騎手が気合を入れなおして直線で追い出すと、GⅠ馬の脚が再び開花した。
前年の有馬記念2着のアドマイヤモナークや4連勝で臨んできたヒカルカザブエが猛然と追い込んでくるも悠々一人旅。
最後に勝った阪神JFから3年。その間24連敗。最後まで諦めなかった馬に、競馬の神様は微笑んだ。
先頭を走る彼女を見たファンは、「3年間の苦労が報われるぞ」と叫んだアナウンサーの言葉に深く感動したことだろう。
テイエムプリュキュアは3馬身以上差をつけ圧勝。3年ぶりの勝利という大仕事とともに、有終の美を飾った。
……と思いきや、日経新春杯の華麗なる復活劇をみた陣営は現役続行を決断。賛否両論あったものの、その年のエリザベス女王杯で再び大仕事をやってのけることになるのであった。
3年以上勝利に見放されながらも諦めなかったテイエムプリキュア。諦めなければ、苦労が報われる。それを体現するような、素晴らしい名レースだった。